ワラット・インタサラ著『カラバオの足跡を追いかけて』翻訳者序文

(この文章は拙訳書 ワラット・インタサラ著『カラバオの足跡を追いかけて』の翻訳者序文として書かれたものです。)



 どこから、そしていつから話せばいいんでしょうか?


 とりあえず僕がカラバオの音楽と出会った経緯などは書かないことにしました。そんな事書いてたらとてつもなく長くなってしまうし、それよりも大事なことがあるので書いてる余裕などないのです。

 2002年のことです。ウォラポッ・パンポンがわざわざプラプラデーンまでやって来ました。

 そんな事言われても読者の皆様には誰だそれ? でしょうが、彼は首相からアイドルまで幅広くのインタビューを担当してきた日本で言えば吉田豪みたいに著名なインタビュアーなのです。吉田豪よりはいささかメインカルチャー寄りですが。

 その乱暴にたとえるとタイの吉田豪的な方がわざわざ僕にインタビューするために都心から離れたサムットプラカーン県のプラプラデーンまでやって来たのです。

 そしてそのインタビュー記事と写真がジェントルマンズ・マガジンといういかにもイケてそうな名前で、イケてる有名企業の広告に満たされた雑誌の2002年8月号に掲載されました。その中で僕がウォラポッ氏の質問に対して以下のように答えたのが今から思えば危機のはじまりだったのです。



f:id:whitestoner:20201231072756j:plain
「書籍以外にも、白石はカラバオの歌詞を翻訳しはじめている。興味がある曲を100曲選んで日本語に訳そうと考えているのだ。
 日本人の目には、カラバオはコミカルなバンドに見えている。帽子をかぶり、ジーンズをはいて、西洋の音楽を演奏している。だが、そこから出てくる歌声はタイ訛りのタイ語だ。

 歌詞が理解できない日本人にとっては、見た目がコミカルなバンドだけだとしか認識されていない。

 カラバオの楽曲の多くが現実の政治、社会、地方住民の方法論的なものやその小さな人生に言及している。すなわちそこには見過ごすわけにはいかないタイという民族のディティールが存在しているのだ。

 カラバオ楽曲のサウンドとリズムにはすでに素晴らしい独自性が存在している。歌詞を訳すことができれば日本人にも理解でき、タイ日両国の人間が互いを理解するのに役立つことになると思う」




 なんだこいつ偉そうに。
 

 当時の僕はたかだか真面目にタイ語読み始めてたかだか一年ちょっとくらいの時期でした。そんな幼児レベルの分際にもかかわらず、こんな大層なことをウォラポッ・パンポン氏に語っていたのです。それはもうインタビュー記事として証拠が残ってしまっているのだから逃げられないのです。

 だからそれから18年間ずっとカラバオの楽曲の内容について書いたり訳したりしなければならないと思い続けてきました。実際に何曲か訳してはいるのですが、本の形にまとめる事はできませんでした。


 90年代に日本でたくさん発売されていたタイ旅行ガイドブックやタイについての書籍で紹介されているカラバオは「メイドインタイランド/Made In Thailand」という曲で日本を批判したというふうに書かれていました。

 ですが90年代終盤から僕が何度もタイ語で読んだり、時には歌ってきた歌詞にはそんなことひとつも書かれていませんでした。「メイドインタイランド/Made In Thailand」で批判されているのは日本ではなく自分たちタイ人なのです。

 タイ音楽をしたり顔で語っていた当時のライターたちが歌詞の内容を確認することもなくうわっつらだけの知識をもとに雰囲気で書いた結果、タイでカラバオという名の反日バンドが大人気だという誤った情報が多くの日本人に伝わりました。

 彼らは歌詞という基本的な参考文献も参照することなくぼんやりとした印象で書いていました。しかも、彼らはなぜか上から見下しながら断定する書き方をします。なんの根拠もないのに。

 その結果カラバオ反日バンドだというレッテルが貼られてしまい、そしてそれを誰もちゃんと正してこなかったのです。


 じゃあなんでお前がそれをやらなかったのか? どうしてこんなになるまでほっといたんですか? などと思われるかもしれません。


 なぜこんなに時間がかかってしまったのか?


 すべてがこの『カラバオの足跡を追いかけて』のせいなのです。


 この本が2007年に出版されたおかげで僕の中ですっかりカラバオについてまとまったものを書くという行為自体のハードルが上げられてしまい、手も足も出せない状態になってしまったのです。

 本書にはカラバオについて僕が書こうとしていたことのほとんどがすでに詳しく書かれていたし、知らないこともすごくたくさん書かれていました。

 この本からパクって書いていけば、カラバオについての正しく根拠ある文章をいくらでも書くことができたでしょう。しかも日本人が知ることがない情報が満載された価値ある文章を何本とは言わず何冊分も。

 でもそれはできませんでした。自分がカラバオについて書くのであれば、全て元ネタである本書を明らかにした地点からやるべきだと思ったのです。

 すなわち、僕は現時点で最高のカラバオ研究であるこの本を翻訳し、そこをスタートラインとして書いていくべきだと思った結果、こんなに長い年月が過ぎ去ってしまったというわけです。


 以上が何年もサボっていた言い訳です。



 さて、本文中のわかりにくい事に関しては原著には存在しない説明や画像をいくらか追加しております。その部分には翻訳者の単独犯行であるとわかるように【訳者】と記しております。

 ですが頻繁に登場するプア・チーウィット、サムチャーなどの日本人にとってなじみが薄いタイ音楽のジャンルを表す専門用語については特に説明しないことにしました。本文中で著者のワラット先生がボブ・ディランはじめ多くのアーティストを引き合いに出して語ってくれているし、9章のインタビューでティワーさんもそれを定義することについて言及しています。だから僕は読者の皆様それぞれが読んで判断すればいいと思いました。それだけの判断材料がこの本の中には収められています。


 そもそももうそんな時代じゃないです。

 電子書籍にリンクを貼って視聴しながら読める時代なのですから、音楽のジャンルに関しては読者が聴きながらなんとなく判断していくのが正解だと思うのです。


 そういう趣旨でできる限り視聴できる各音楽配信サイトへのリンクを貼りまくりました。カラバオを中心に本文中に出てくるタイ歌謡の楽曲を300曲以上、探しまくって貼れるだけ貼りました。各楽曲の歌詞を読み、曲の内容が感覚的に伝わるように日本語タイトルもつけました。サブスクリプションで聴ける曲もあるので読みながら聴きまくっていただけると翻訳者としてすごくうれしいです。


 そんなことより大問題です。

 それは英文字で表記されている曲名です。

 微妙に不正確なものが混在しています。

 原題では「京都」なのに英文字名では「tokyo」になっているとか、同じ「ワニポク」なのに「Wanipok」と「Wanipock」のふたつの表記があるとかいろいろゆるいまま流通してしまっています。

 それらの間違いも含めたものが世界中の音楽配信サイトで公式に英文字表記の曲名になってしまっているのです。

 だからこの本に英文字名として書かれている曲名は、明らかに正しくなくてもその表記に準じました。

 ヘタに書き直すとタイ語がわからない大多数の読者の皆さんが英文字名で検索かけた際に困ると思ったからです。

 日本語タイトルとタイ語原題を併記できればいいのですが、電子書籍の仕様上の問題なのか、日本語と混ぜるとタイ語の位置がおかしくなることが多々あるのでそれはできませんでした。

 そういった土台を踏まえた上でいろいろ悩んだ結果、苦肉の策として第13章にタイ語曲名と英文字曲名を併記した索引をつけました。タイ語で歌詞を読んでみたいという奇特なタイ語使いの方がいらっしゃったら、英文字表記タイトルで本書の中を文中検索すればタイ語の原曲名が見つかるようになってます。それを手がかりに検索していただければネットのどこかに落ちている歌詞が見つかると思います。

 もちろん、タイ人のおともだちから簡単にカラバオのおすすめ曲を教えてもらったりするためにこのタイ語索引を利用することも可能です。

 せっかくなので第12章にはカラバオオリジナルアルバムのディスコグラフィーもつけました。

 そもそも原書は第11章までしかないのですが勝手に第12章と第13章追加です。

 翻訳者としてもうやりたい放題です。なんかすみません。



 というわけでひととおりご説明さしあげたところで大事なことなのでもう一度言います。



 ここからはじめます。間違いなくここがベストのスタートラインだからです。



 今後カラバオについて訳したり書いたりする際は、本書に書かれていることを踏まえて語っていきます。

 本書はそれだけの内容と価値と持った音楽評論であり文学研究であると、この10ヶ月間何度も感動しながら翻訳してまいりました。


 というわけでカラバオについて18年以上も手が出せなくなってしまうほど高いレベルのハードルだけにとどまらず、そのスタートラインさえもずーっと後ろの方に設定しなければならないほどの素晴らしい仕事をしてくださった著者のワラット・イントサラ博士には本当に心からの愛と憎しみをこめて感謝いたしております。

 SNSでいきなり面識の無い無名の日本人から翻訳出版許可よこせとなどと言われかなり驚いたと思います。びっくりさせて本当に申し訳ないです。快く翻訳出版許可をいただけてありがたき僥倖であります。


 あと、厳密には自分の本ではない翻訳者の分際で序文にこういうことを書くのもどうかと思うのですが、バンコク近郊でカラバオのライブを観に行く時、いつも一緒に来てくれた福士貴光氏に本書を捧げたいと思います。

 彼のラジオ番組に呼ばれて1時間近くカラバオの話をさせられたり、ことあるごとに早くカラバオについての本を書くようにと18年以上も脅迫に近い激励をいただき急かされ続けて来ました。

 この本が日本語で読めるようになって彼が一番よろこんでくれると確信しています。


                       令和2年12月29日

                             白石昇