馬野幹様からお誘いを受けたのです。
イベント手伝ってくれないかと。
そりゃもうよろこんでと引き受けたのですが、所沢での花見のスケジュールを把握しておらず、前日夜になってドタキャン。
ごめんなさい。
夕方からのお手伝いはできませんけど夜にお客さんとして入りますです。
というわけで暗い中、駅から自転車こいで阿佐ヶ谷へ。
もちろん所沢から持って来た花見のゴミ袋は捨てるタイミングを失いそのまま自転車の前カゴに。
さて、馬野幹様とお会いするのは5年ぶりくらいです。
5年前に東京を訪れたわたくしは友人に拉致られイベントに連れてかれて弾き語りなどをしたのですが、そのイベントが馬野幹様のイベントだったわけです。
いわばあたしの日本初舞台のイベント主催者なわけです。
そりゃ一発挨拶しとかなきゃでしょう一発。
というわけで会場に行きます。
主催者馬野幹様に挨拶いたしました。
そしたら受付嬢を命じられました。
受付嬢になった自分に萌えつつドアの隙間から観戦です。
このイベントは東西対抗戦なのです。
6人が朗読で勝ち抜き戦をやるのです。
舞台はこんな感じです。
対戦前に礼をして、
順番に朗読します。
終わると判定が出るのです。
とまあこういったイベントです。
あの、あたし、5年前にも思ったんですよ。
なんで詩の朗読ってみんな紙を持ってそれ読んでるのかと。
紙がなかったら視線や表情を作れるし、両手でいろいろ表現できるじゃんと。
ウドムさんがA4の紙4枚くらいに舞台のスクリプトを書き出し、それを頭に叩き込んでお客さんの反応を見ながらひとりで三時間以上しゃべりっぱなし、ってのをずっと見てたんでそう思ったわけなんですよ。
5分間しゃべる内容をどうして頭に入れて舞台に上がらないんだと。
でも、今日何となくわかりました。
これって、片手に紙を持ってる、って形での表現なんですね。
ひとによって一枚に1行とか、そんな感じで紙をめくるスピードを変化させるひともいらっしゃいます。
もしかしたらその紙はただの紙でそこには詩なんか書かれてないのかもしれません。
パフォーマンスの流れとお客様の意識コントロールするためのアイテムなわけです。
落語家さんの扇子に近いかもしれません。
ですので紙をめくるスピードや間が個性的なひとはたいてい、詩の内容も個性的でした。
と、いうわけで最後は大将馬野幹様が勝利を収め、東軍の勝利に。
どうでもいいけど大将の着物、演歌の大御所みたいになってます。
終わったあと受付嬢として打ち上げ(夜の花見)にも参加させていただいたのですが、所沢から持って来たゴミ袋が大活躍でした。
素直に運んでみるもんですねゴミも。