9月に荘司和子先生が亡くなられました。
ご冥福をお祈りします。
ですが、わたくし、荘司和子先生とは一切、面識がございません。
でも、先生というか、あえて敬意を込めて姐さんと呼ばせていただきますが、姐さんはタイ日文芸翻訳者として避けては通れない人なのです。
もうね。神様みたいな人なのです。
わたくしが最初に翻訳したこの本では荘司和子姐さんの教え子の方に厳しく訳文チェックをしていただき、そのチェック内容のレベルの高さに驚愕いたしました。
神の弟子であるタイ語使いの魔力たるやそれはもうすごかったのです。
ちゃんとした人に習ったちゃんとしたタイ語使いはこんなにもすごいのかと。
なのにチェックさせたのが↓こんなタイトルの本で申し訳ありません。
さて、わたくしは昨年、タイの民主化運動から派生したプロテストソングの流れをくむカラバオというバンドに関する音楽評論を翻訳し、リリースいたしました。
ですが、タイの民主化運動から派生したプロテストソングの源流はカラワンですので、わたくしがやってることなんて荘司和子姐さんのパクリなわけです客観的に見れば。
80年代後半、まだ森にいたスラチャイ・ジャンティマトンはじめとするメンバーの著作をわずか数年後に日本語で読めるようにした庄司和子姐さんの数々の訳業があるからこそ、現在わたくしがカラバオ本をリリースできる土台があるわけです。
えーと。いきなりスラチャイとかカラバオとか言われてもなんのこっちゃわかんないかと思いますが。
わかりやすくたとえると最初に吉田拓郎の作品翻訳をした人と、その後桑田佳祐評論の翻訳をした人のような感じなのです。
あら、さらにわかりにくくなった気がするぞ。
つうかそんな人いるのか?
じゃ、ボブ・ディランの作品翻訳とボブ・マーリィ評論の翻訳した人くらいの関係性ということでいいや。
うわ、さらにわかりにくい。
とにかく70年代民主化運動の流れの中でタイ歌謡の中に芽生えたプロテストソングの第1世代であるカラワンおよびその中心人物であるスラチャイの著作を80年代後半に日本語で読めるように翻訳していたのが庄司和子姐さんなのです。
姐さんはそれだけではなくタイ語教本の作者としても数々の著作を残されています。特にこの本は添付のCDをタイ人が聴いてもなんとなく日本語が学べるようになっています。素晴らしいです。
そういった土台を踏まえた上でわたくしは荘司和子姐さんにひっそりと敬意の念をいだきつづけてきたわけです。
すると去年。
突然の御本人からのDM。
まさかの女神降臨。
その時ちょうどカラバオ評論の訳書を翻訳中だったので、わたくしは尊敬する偉大な先駆者からの温かいお言葉をいただきつつ仕事をすすめてゆきました。
なんという幸せな翻訳作業でありましょう。
姐さんとはカラワンやカラバオの話を中心にいろんな話をさせていただきました。
わたくしの訳書に出てくるカラワンの曲名の日本語訳などは、全て荘司和子姐さんの訳語に準じています。
本ができたときにも温かいお言葉をいただきました。
なんという幸せなことでありましょう。
そして9月、SMSのメッセージで関係者の方から突然、訃報を知らされました。
一年という短い期間でしたが直接やり取りさせていただいて、わたくしという拙い翻訳者を励ましてくださり、本当に感謝しております。
これからも姐さんには及ばないまでも、全体性をふまえたタイ文学というものを日本の方に読んでいただけるような仕事を続けてゆきたいと思います。
どうか、ごゆっくりおやすみください。
何十年かあと、むこうではじめましてのご挨拶をさせていただくまでにもう一度、姐さんのこの本を読んでおきたいと思います。